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賀川豊彦献身100年記念事業神戸プロジェクト記念式典開催―神戸からあしたへ―
2009年12月22日
協同組合運動、労働運動、農民運動、平和運動の草分け、賀川豊彦氏が貧困にあえぎ劣悪な環境で暮らす人々と共に生きるため、彼等が生活する地域に入った1909年12月24日から100年を迎えようとする2009年12月22日、神戸・ポートピアホテルで賀川豊彦献身100年記念事業記念式典が開催されました。 記念式典には、約1500名が参加しました。賀川家の皆様、兵庫県、神戸市、鳴門市等の自治体、YMCA、イエス団等のキリスト教関係団体、大学・研究者、報道機関、企業、共栄火災、農中、全農、JA共済連、JA兵庫信連、地元JA、兵庫漁協連、日本生協連、コープ共済連、兵庫生協連、コープこうべ、ならコープ、連合兵庫、全労済等々の代表者、近畿労働金庫・石橋嘉人理事長、嶋田輝男常務理事をはじめ、近畿労金、労金協会の関係者も参加しました。 |
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最初に、今井鎮雄委員長による開会の挨拶、井戸敏三兵庫県知事と矢田立郎神戸市長の祝辞の後、スライドによる「賀川豊彦献身100年記念事業のあゆみ」により賀川記念館(※)の建て替え等が紹介されました。 献身50年を記念して計画され、賀川豊彦氏召天後の1963年に開館した現在の記念館を、賀川豊彦氏が望んだように「個人を顕彰するのではなく、弱い立場におかれた人たちの支援を行う実践の場」として、過去の取り組みを紹介するに留まらず、「私たちの献身」を支える器、出会いの場にリニューアルされます。実行委員会では、引き続き賀川記念館ミュージアム建設募金の協力を呼びかけています。 |
続いて、日野原重明聖路加病院名誉委員長・理事長が「賀川豊彦献身100年を機に、いま私たちにできること」と題する要旨以下の記念講演を行いました。 *** これだけ多くの団体が企画したイベントは他に例がない。賀川豊彦氏は宗教界に留まらず自然科学、社会科学など広い見識と広い交流のあった世界的な人だ。氏は米国プリンストン大学に留学した3年間、リベラル・アーツ(一般教養、職業や専門に直結しない教養)を身に付けた。これが氏の活動の基礎になった。氏は協同組合運動、労働運動、農民運動、水平社運動、平和運動等、あってはならないことに立ち向った。正義を主張するだけでなく行動で立ち向う勇気があった。アイデアだけでなく実践があった。氏が残したものを我々は継承していかなければならない。 |
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さらに、日野原重明氏、今井鎮雄氏に野尻武敏神戸大学名誉教授・元コープこうべ理事長を加えた3氏による「賀川豊彦の何を継承し発展させるか」をテーマに鼎談が行なわれました。 *** 賀川豊彦氏のいう友愛とはfraternity(仲間)ではなくbrotherhood(兄弟愛)であって、より濃い関係を意味する。フランス革命が掲げた自由、平等、友愛のうち、自由が先行し、別な意味で階級的支配、隷属、格差が生まれた。今、世界的に友愛が重要になっている。 氏は米国留学後、運動を救貧から防貧に移す。氏の思想は第一次世界大戦から第二次世界大戦の間に培われた。皆が貧しければ文句が出ない。当時これを実践したのが、ドイツのナチ、イタリアのファシズム、ソ連の共産主義だった。政府による上からの福祉を目指したのがドイツ社会民主党、イギリス労働党だった。氏は、福祉はみんなでやるもの、組合社会主義、協同組合主義、人格社会主義を唱えた。その延長線上に生協ができた。 |
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氏は個人と個人が協同組合を作り、協同組合と協同組合が世界連邦を作る青写真を描いていた。わが国は鎖国を経験したため、身内の友愛は大切にするが民族が異なると冷たくなってしまう。若者に社会奉仕を求めない珍しい国だ。このようなことではいけない。 わが国は経済的には豊かになったが、人間的に貧しくなった。都市生活では心のつながりがなくなってしまった。心のつながりがあれば、助け合うことができる。このことを阪神・淡路大震災で再認識した。氏は大きな働きをしたが、これを偶像化することなく我々が考え次の時代につなげていくことこそ大事なことだ。 |
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記念式典の最後に、今般設けられた賀川賞の第1回贈呈式が行われ、連合兵庫が推薦した神戸西助け合いネットワークなど、全7団体と8名の個人が受賞しました。 そして「友愛とは行動することだ。我々は賀川豊彦氏からバトンを渡された。様々な問題に立ち向おう。さあ、はじめよう、私たちの献身100年を」ということを参加者全員で確認し閉会しました。 |
以 上